働き方改革に伴って医師が捨てるべきもの

 2019年3月末、厚労省の検討会で過重労働におちいる勤務医の働く環境を改善する議論が取りまとめられた。それは「年1860時間」の残業を、条件付きで容認するというものだった。

 私は外科医として勤務しており、所属組織が早期から働き方改革に取り組んでいたため、「年1860時間」もの残業をすることはない。もちろん、通常勤務以外に当直(夜間病院に泊まる)やオンコール(自宅で待機)などはあるが、チームのメンバーで分割できる環境にあるため、休日に病院からの電話がなることは滅多にない。

 話が逸れるが、日本では医師や弁護士・議員のことを「先生」と呼ぶ風習がある。「先生」は本来なら何かを教えてくれる人、つまり「学校の先生」などに使用されるべき言葉であったはずだ。
 定かではないが、なんとなく「偉い」もしくは「偉そうにしている」職種に対して使用されるようになったのではないだろうかと考えている。

 

 地方での救急業務に従事することがあり、そこの警備員の方とお話しする機会があった。

警:「先生、お疲れ様です!先生は大変ですねー」

私:「お疲れ様です。大変なのはどちらも同じですよ」

警:「いやー、先生はえらいし、大変ですよ!命を見てますから!」

 確かに医師は命に関わる仕事をしている。だから、社会平均より高い給与をもらっているのだと思う。命に関わる仕事をしている責任分は給与でもらっているのだ。その上で何をもって偉いというのだろうか?

私見だが、これまで主治医をいう存在が重要視されてきた日本では、「いつでも駆けつけてくれる」「大変でも助けてくれる」「つらくてもなんとかしてくれる」というイメージが強かったのだろう。

私はこれが、医師を「えらい先生」という風習とつながっているのだと思っている。

働き方改革は絶対に必要である。医師の勤務も見直すべきであるが、全ての医師が9時5時勤務になり、夜間も呼ばれることはない、そんな日が来るとしたら、自分が「先生」と呼ばれることに違和感を感じない医師や、自分のことをえらいのだと思い込んで他職種や患者に横柄な態度をとっている医師も、行動と態度を見直すべきだと思う。

むしろ、一部の医師が持つ自分が「えらい」のだという勘違いは、働き方改革に関係なく捨てるべきだろう。